2006年9月に高齢初産で男の子を出産しました。 ぼちぼちと育児日記を綴っています。2008年1月と2月は絵日記もちょこっと。
再びERへ
2010年06月26日 (土) | 編集 |
【15日目】

・抗生物質(今日から変更)・・Ciprofloxacin HCL 500mgX2錠/日


昨日ERへ行くことになってから、息子は知人に預かってもらえることになりました。

息子と同じ年の子を含めた子供が二人いて、よく遊びに行っていたので心配ではありましたが、本当にほっとしました。

正直言って、このときは本当に入院したくて・・

昼夜を問わずに繰り返し起こる激しい症状、そして2週間近くあまり食べていなかったこと、さらに抗生物質を飲み始めてからは水も喉を通らなかったこと、などで、とにかく点滴だけでもしてほしかった。

でも、アメリカの医療システムって、難しいんですよね。

プライマリー・ケアと呼ばれる担当医のところは、簡単な血液検査や尿検査はしてくれるけど、点滴はしてもらえないんです。

で、どうするかというと、いちいちERへ行って、何時間も待たされて、また一から状況説明をして(それも受付と看護婦と2度)、やっと点滴がしてもらえる(かも)という感じで、非常に面倒なんです。

しかも、そのたびに度重なる医療費・・(うちは、割といい保険を買っているのですが、ERの診療は訪問の都度100ドル、プラス治療費)

もう、いっそのこと入院して2日くらい点滴して欲しい・・と、いくら患者が訴えても、どういう仕組みで駄目なのか分かりませんが、ERへ行けの一点張りで、入院させてもらえないんです。

そのことも、不安のひとつになっていました。

特に夫は、こんな瀕死の状態の私を家で看ることに大きな不安を感じていたようです。

さて、前日抗生物質を変えて、この日はもう家で一歩も動けずに寝ていました。

そして夜中、また激しい痛みと吐き気が襲ってきたのです。

心配して日本から国際電話をかけてきた姉夫婦に、

「今すぐにERへ行って」

と強く言われ、・・・私は本当は行きたくなかったのですが(また昨日と同じことの繰り返しだと分かっていたので)、夫に連れられて再び深夜ERへ。

今度は、若干家の近くのERへ行ってみました。

ところが、これが失敗で、そこでは何時間待ちになるか分からないと言われ、待合室にベッドを用意してもらったのですが、一時間以上待たされてもまだベッドが空く見込みがないという状況でした。

「昨日行ったERの待ち時間を確認してみたら」、との受付のアドバイスで、電話してみたところ、今のところ待合室には誰もいないということで、結局同じ病院へ行くことになりました。

この時点で多分夜中2時頃だったと思います。

もう、疲れたのと眠いのでどうでもいい・・家に帰りたい・・と思いながら、車に揺られてぼーっとしていました。

こちらのERはなぜか空いていて、すぐに空きベッドに連れていかれました。

そして、再び1から状況説明・・・なんとかしてください、このシステム。

で、この日も結局、水分補給の点滴と吐き気を抑える薬だけでした。

ひとつだけ失敗だったのが、受付で痛みのレベルを聞かれたときに、昨日の教訓を生かして5くらい、と言ってしまったこと。

このせいで、痛み止めにモルヒネを打たれてしまったのです。

ぱっと見もかなりの量のモルヒネだったのですが、点滴に入れられたとたんに、まず頭から首にかけての筋肉がきゅーっと収縮して痛くなり、次第に全身がひきつるような痛さが走ったのです。

「・・あの、すごく頭とか痛いんですが・・大丈夫でしょうか・・?」

と聞いても、すぐに楽になるから大丈夫、と、しれっと言われて。

後で、モルヒネで心筋梗塞になる人もいると聞いて、ぞっとしました。

モルヒネのせいか、そのあと2時間くらいだったのか、うとうとしていると、看護婦さんがやってきました。

そして言われたのが、

「昨日処方した抗生物質は効かなかったみたいなので、もう一度最初の抗生物質に戻して様子を見てみましょう」

ということでした。

でも、最初の抗生物質で症状が見る見る悪化したこと、便の検査では細菌は検出されなかったのに、なぜまだ抗生物質を飲まないといけないのか、など、夫が聞いて話し合いをしている間、とりあえず抗生物質はストップして様子を見る、ということになったようです。

夫よ、ありがとう。

そして、夫がなんとかここに一日でいいから入院させてもらえないか、とお願いしたのですが、やっぱり無理でした。

ドクターの話によると、私は血液検査も正常だし(はっきりした数値を見せられていないので、どう正常なのかは分かりませんが)、もう今にも死ぬ、というくらいの患者じゃないと入院させることは出来ない、また何かあったらERに来い、ということらしいです。

夫は、昨日あんな状態で家に帰すこと自体がそもそも間違いだったんじゃないか、こんな瀕死の妻を家に連れて帰る自信がない、と、責任者を呼んでかなりの勢いで迫ったらしいです。

私はモルヒネでへろへろだったのであまり覚えていませんが・・

とにかく、入院は死ぬ直前くらい悪くないとさせてもらえない、ということで、また自宅へと戻ることになりました。

病院を出るときはもう明るくなっていて、朝の7時半でした。

結局、ほとんど睡眠もとれず、疲れに行っただけのようなものでした。

もう、どんなにきつくても(きつければきついほど)ERにだけは行きたくない・・と思った日です。
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ERへ
2010年06月25日 (金) | 編集 |
【14日目】

・Metronidazole 500mg 1錠X3回/日


この日は、朝から起き上がれませんでした。

夫が会社へ行った後、息子を一人一階のリビングルームに残したまま、私は二階にある寝室にこもりっきり。

お腹もきついし、嘔吐で胃のあたりが激しいけいれんを起こして、それがまた激しいしぶり腹を誘発して・・という感じで、水を飲み込むことも喉が拒否する状態でした。

夫がプライマリーケアに電話して状況を説明すると、看護婦さんから電話がかかってきました。

「救急車を呼んで、今すぐにER(エマージェンシー・ルーム)へ行くように」

・・でも3歳の息子をどうしよう・・

考えた末、隣の奥さんにお願いすることにしました。

幸い、電話番号はスピードダイアルに登録してあります。

電話して、今からERに行かないといけなくなったので、少しの間息子をみてもらえるか、とお願いすると、すぐに飛んできてくれました。

朝から何も食べさせていなかったので、図々しくもご飯のお願いまでして・・

しばらくすると夫が早退して帰ってきたので、夫の車でERへ。

歩けないので車椅子に乗り、気温は高くても寒くてたまらないので毛布を沢山かけてもらい、受付へ。

それまでの経過を一から説明し、検温、血圧を測ってもらった後また待合室へ。

そして3時間半待たされた後、やっと名前を呼ばれました。

どうやら、私が一番長く待っていたみたいです。

アメリカのERというのは、もちろんドラマみたいに救急車で患者さんが運ばれてくる緊迫した場面もありますが、普段は保険を持っていない貧しい人たちであふれています。

保険がないと普通のクリニックでは門前払いになってしまうところが、ERではどんな患者も受け入れてくれるからです。

しかも、保険なしの場合診療代は50ドルのみ。(保険を買っている人の方が自己負担額が多い)

なので、ちょっと調子が悪い程度の人が待合室にあふれているのです。

失敗だったのは、多分、受付で痛みのレベルを1~10までで言うとどれくらいか、と聞かれたときに、「ゼロ」と言ってしまったこと。

ずっと痛いのはあるんだけれど、波があって、一気に10まで上がることもあるけど、ずっと飲まず食わずでじっとしていると少し治まって・・という感じで、その時はそんなにひどい時じゃなかったんです。

それに、あんまり大げさに言うのもはしたないような気がして・・我慢出来る痛さだからゼロでいいかな・・と思ったんです(もちろん痛かったんですが)

それで、痛くないんだったら待てるだろう、と判断されてしまったようです。

やっと診察室のベッドへ寝かされて、血液検査と点滴のための針が刺されました。

14日目にして初めての点滴です(水分のみ)。

ここでもまた、最初から経過を詳しく説明しなければなりません。

もう、何度同じ事を繰り返し説明してきたのか・・息も絶え絶えで話をし、しばらくするとやっと夫が帰ってきてくれました。(いったん家へ帰って、家のことや息子の面倒をみてもらう手配やら済ませてきた)

血液検査は、またも異常なし、ということでした。

吐き気を止める薬を点滴に入れてもらい、水分も補給されたので少し楽になりました。

痛み止めは、市販のタイレノールでした。

そして、最初の抗生物質が合わなかったのだろうということで、別の抗生物質を処方されました。

また抗生物質・・他に何かないのでしょうか?素人なので分かりませんが、とりあえず抗生物質なのでしょうね。
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抗生物質開始
2010年06月24日 (木) | 編集 |
【13日目】

・Metronidazole 500mg 1錠X3回/日


昨日処方された抗生物質を飲み始めました。

便中に細菌は見つからなかったのに、どうして抗生物質なのか・・よく分かりませんが、とりあえず原因不明の下痢には抗生物質、なのでしょうか??

これを飲んだとたんに激しい吐き気がはじまりました。

しぶり腹(激しい便意で何度もトイレに行くけど、腹痛のみで便は出ない)プラス嘔吐で、気力・体力ともに見る見る落ちてゆくのでした。

この日のことはあまり覚えていません。
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担当医検診
2010年06月23日 (水) | 編集 |
【12日目】

あまりにもひどい状態が長引くので、今度はプライマリー・ケア(担当医)の所へ行くことにしました。

本当は胃腸の専門医に診てもらいたかったのですが、予約が一杯で一番近い日が8月ということだったのです。

こちらの医療システムは日本と少し違って、普通何かあったら、まず最初に担当医に診てもらうことになります。

担当医は、普通のオフィスビルみたいな所にクリニックがあって、何でも診てくれる・・まあ、町の診療所みたいな感じです。

そして、担当医の判断で今度は専門医に診てもらう、というのが一般的な手順で、いきなり専門医に診てもらうというのが難しいのです。

私は息子が生まれてからずっと婦人科検診のみですませてきたので、いわゆる担当医を持っていませんでした。

そこで、今回は担当医を探すところから始めなくてはなりません。これは、保険の関係もあるので夫に手配してもらいました。

夫に仕事を休んでもらい、息子と三人でクリニックへ。

またひととおりの説明をして、血液検査。結果は異常なし。

当日、CTスキャンが出来るかもしれないけど、どうする?と聞かれ、もちろんお願いしました。

専門的な検査は、また別の専門施設へ行かなければなりません。

幸い1時間後の予約が取れたので、すぐに車でそちらへ移動、検査を受けることになりました。

検査の前、450ccのバリウムを飲まなくてはいけません。

半分飲んで、30分後にまた半分。

これが、もう、本当にきつかった・・

Berry Flavorとか書いてあるんだけど、嫌~な感じの酸味と甘みで・・

それから、スキャンする時に血管を広げる薬かなんか(だったと思う)を点滴で入れるんですが、それが入ったとたんにものすごい勢いで吐き気がきて。検査が終わったら我慢できずに吐いてしまいました。

その後、1時間くらい待合室で待ったあと、担当医から電話があって結果を教えてもらいました。

どうやら、左側に炎症がある、ということでした。

処方されたのは抗生物質。

Metronidazole 500mg 1錠X3回/日

この薬が、翌日からのさらに苦しい日々をもたらすことになります。
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まだまだ続く痛み
2010年06月22日 (火) | 編集 |
【6日目~11日目】

アージェント・ケアへ行った翌日、夫に便のサンプルを持って行ってもらいました。

数日後出た結果は、菌やバクテリアの疑いはない、ということでした。

食中毒でもないので、特に処置もしてもらえず、それからさらに1週間近く絶え間なく続く痛みに耐え続けたのです。

食事は・・あまり覚えていませんが、殆ど何も食べられず、なんとかがんばってご飯(お米)を食べていたような気がします。でもほんの少しだけ。

水分は、脱水症状が怖かったのでなるべくとるように努力はしていました。

一番辛かったのは、息子の世話とトイレでした。

もう、ご飯も作ってあげる体力・気力もなく、自分でシリアルをついで食べてもらっていました。ひどい母です。

そしてトイレは、もう寒くて寒くて・・

陣痛と同じで、空気が動いただけできつい状態で、特にちょっとでも温度が低いと激しい腹痛がきたため、長袖長ズボンに靴下と、肌の露出をなるべく避けていたのです。

でもトイレに行くと、どうしても肌が冷たい空気に触れる上、すぐ横にある通風孔から冷たい空気が定期的に出てきて、もう死ぬほど辛かったです。

(後に昼間の間は冷房は切ることで少しはましになりましたが)

驚くことに、あんなにきつい中でも、夫が帰ってきてから夕食後、息子を連れてみんなで公園へは行っていました。

車の振動で激しい便意がいつ来るかわからないので、ものすごく不安でしたが、いざ公園についてみると外の気温が高いせいか痛みも和らいで少し楽になっていたのです。(しかも30度近い中で長袖着て完全防寒してました)

でも10日目、11日目あたりはもう、ソファとトイレの移動も歩けなくなってしまって、這って移動していました。
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救急病院へ
2010年06月16日 (水) | 編集 |
【5日目】

あまりに症状が続くので、心配した夫に「やっぱり病院に行った方がいいんじゃない?」と言われました。

何度か「病院へ行く?」と聞かれてたんですが、その間息子をどうしよう・・という理由で、「もう少し様子を見てみる」と言い続けてた私。

それもついに限界がきました。

夫が帰ってきてから、夜、アージェント・ケア(救急病院)へ連れて行ってもらいました。

そんなに混んでいなかったので、割とすぐに呼ばれました。

尿検査と血液検査の結果は、異常なしということで、脱水症状もありませんでした。

旅行に行ったか?何か普段と変わったものを食べなかったか?などの、下痢患者に対する一般的な質問をひととおり聞かれ、結局

「I'm sorry, I have no cure for you.(悪いけど、どうすることも出来ない。)」

「鎮痛剤は飲んでもいいけどイブプロフェンよりタイレノールを薦める」

とだけ言われて後は下痢のときに気をつけること、というプリントをもらっただけでした。

書いてあったのは、

脱水症状を避けるために水分をこまめにとること。(氷をなめるとか)

頭文字BRATのものを沢山食べること。

B: Banana(バナナ)
R: Rice(お米)
A: Apple sauce(アップルソース・・すりおろしりんごを煮たもの)
T: Toast(トースト)

・・・でも、このとき既に食欲があまりなく、殆ど食べていなかったせいか味覚もおかしくなってたんですよね。

甘いはずのバナナがものすごく酸っぱくてえぐみがあって、一口食べるのも辛いという感じでした。

とりあえず水分だけは・・と、水分補給だけは心がけていました。水を飲むのもきつかったんですが・・

体重は、この時5キロ減っていました。

便の検査は、病院ではなぜかどんなにがんばっても出なかったので翌日夫に持っていってもらうことにしました。
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さらに続く症状
2010年06月15日 (火) | 編集 |
【2日目~4日目】

激しい腹痛、下痢、しぶり腹は昼も夜もさらに頻度を増してきました。

それでも育児と食事の支度は休むことが出来ません。

鎮痛剤を飲むと痛みが少し治まるので、その間に家事をしていました。イブプロフェンを1、2回。

今にして思えば、これも良くなかったのかも。今はイブプロフェンは飲まないようにしています。

それにしても、家事・育児に加えて夫が帰ってきてからは息子を連れて公園へ出かけ・・かなり無理していたと思います。

もしこういう病気だと知ってたら、安静にしてたのに。

お腹の調子が悪いので一生懸命繊維質のものを沢山食べたり・・やっちゃいけないことばっかりやってましたね。

無知って、怖いですねぇ。。
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はじまり
2010年06月12日 (土) | 編集 |
【1日目】

それは2010年6月12日のことでした。

突然の激しい腹痛、腰痛、下痢。

その日は丁度生理が始まったこともあって、その痛みなのかな・・と思っていたのですが。

度重なる激しい便意、でもトイレに行ってもなかなか出ない・・いわゆるしぶり腹というやつです。

そしてその度に便器を染める真っ赤な血。

実際、粘液と血便は1ヶ月以上も続いていたのですが、こんな痛みを伴うのは初めてです。

これが、後に潰瘍性大腸炎によるものだと知ることになるとは、思いもしませんでした。
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予兆
2010年06月01日 (火) | 編集 |
今にして思えば、ずっと兆候はありました。

18年前、就職した会社で悩んで(一言で言えば、まあ、ありきたりな人間関係です)入社数ヶ月で体重が10キロ落ち・・

ある日突然お腹の激痛に見舞われました。

お腹が張って、痛くて痛くて、そのくせ便は出ず。

とうとう我慢しきれずに近くの胃腸外科の夜間救急診療へ駆け込みました。

当直は大学病院から来ていた若いインターンの先生。

「う~ん、白血球値は高いけど、盲腸かどうか分からない。週が明けてからちゃんとしたお医者さんに診てもらって」

と言われ、その日は結局そのまま返されてしまいました。

当日が金曜日だったので、土、日はもうひたすら痛みに耐え・・

本当にこのまま死ぬんじゃないかというくらいの激痛をなんとか乗り越え、週が明けたらなんとなく痛みも引いてきたので結局『ちゃんとしたお医者さん』へは行きませんでした。

それでもその後、何度か左腹部の上のあたりが痛かったので、別の胃腸科で検査をしてもらうことにしました。

検査は、腸にバリウムを入れて台の上でぐるぐるされる・・なんていうんでしょう、あれ。

結果は、

「特に問題はないですねぇ。痛いのはきっと、ここのところがヘアピンカーブのように曲がっているから、ガスが通ったりする時の痛みでしょう。」

ということで、診断されたのは

過敏性腸症候群。

それから18年間、疲れた時などいつもみぞおちから左側にかけて、漬物石がつまっているようなずーんとした痛みが常にありました。

でもそのたびに

「あー、またヘアピンカーブのところか・・過敏性腸症候群だもんなぁ」

と、ずっとこの方過敏性腸症候群と信じて疑わず、病院へも行きませんでした。

そして2006年の出産、育児で4年近くあまり睡眠がとれず、すっかり疲れ果て、便に粘液や血がつき始めたのが2008年頃。

朝起きるのが辛くて辛くて、身体は鉛のように重く、食事の支度がものすごくおっくうになり始めました。

何かおかしいとは思いながらも、まだ子供が小さくて預ける人が誰もいないという理由で検査を延ばし延ばしにしていたのです。(アメリカで私も夫も近くに親戚がいないので)

そのうち、便がだんだんとゆるくなり、2009年春から約1年間粘液便とトイレのたびに便器を真っ赤に染めるほどの下血がだらだらと続きました。

2010年4月に日本の実家へ帰省している2週間で、リラックスできたせいか、柔らかい形のある便に戻ったのもつかの間、帰ってきたらまた元の粘液&血便に。

それから6月12日から始まる、激痛の日々となるわけです。

こうやって書いてみると、18年前からじわじわと病状が悪化してたんだろうな・・もっと早く再検査すればよかった・・と思います。

これから、周りで便に異常がある人がいたら、絶対に内視鏡検査をすすめよう。

この病気になって、潰瘍性大腸炎のことを知って、なにかおかしいと思ったら即検査!というのは本当に大事だな・・とつくづく思いました。
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