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2006年9月に高齢初産で男の子を出産しました。 ぼちぼちと育児日記を綴っています。2008年1月と2月は絵日記もちょこっと。
下血が
2011年03月31日 (木) | 編集 |
このところ調子に乗って天ぷら食べたりピザ食べたり(ちょびっとだけ)冷やしうどん食べたり(天ぷらのせ)キャベツの酢漬けを山盛り食べてたら、下血が。あちゃー。

私データでは生理前になると調子が崩れます。今回はそれに加えて睡眠不足も重なったからなのではと。トリプルパンチです。

反省して今日からまた養生します。
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効果的な排便方法とガス抜き方法(緩解期)
2011年03月25日 (金) | 編集 |
ちょっとタイトルを変えて追記しました。(4/4/11)

またまたダイレクトなタイトルですみません。こういうジャンルなんで、大丈夫ですよね・・??

検索ワードで間違ってたどり着いてしまった方、期待はずれですみません(どんな)。こちら、病気関連の話ですので。

以前、呼吸法について書いたのですが、もう少し簡潔に分かりやすく。

この方法だと、割と楽に便意を促して排泄することができます。(緩解期の方法です。)

それから、ガスがぽんぽんにたまって苦しいときにも、すっきりとガス抜きすることが出来ます。

ただし、これはあくまでも自分の経験から編み出した方法ですので、ご参考程度に読んでくださいね。

ポイントは、

まず姿勢。背筋をなるべくまっすぐにします。トイレの便座が高すぎるときは、スリッパや電話帳などでかかとがしっかりとつくように調整します。(これ、結構ポイントなんですよ~。便座が高すぎるとつま先がプルプルして集中できないんです。私だけ?)

息をはくとき

口から長くふーっと息を吐きながら、肛門をつぼめて上へ上げるようなかんじで。同時に丹田を意識しながらお腹をひっこめます。こころもち前かがみになるとやりやすいです。

(ここで、肛門に力が入らずにつぼめにくい場合は、トイレットペーパーをふわふわに丸めたものを押し当てて、手で上に押し上げるようにしてます。ガス抜きの時も、こうするとうまく出てくれます。)

息を吸うとき

背筋を伸ばして鼻からすっと一気に吸い込み、同時にお腹をふっと膨らませて横隔膜を下げます。この時、肛門もふっと開放します。


これを何度か繰り返すと、痛みも少なく自然にするすると出てきます。

出始めた時の呼吸は、

口から「ふ-ふ-ふ-・・」と短く息を吐きながら、そのリズムに合わせて丹田あたりを少し引っ込めます。

吸う息は自然にまかせて、意識しなくても大丈夫。


力まなくても自然な便意を促すことができる方法です。

私の経験では、肛門をすぼめて上げる、というところは結構重要で、これをせずに力みっぱなしだと、かえって出にくくなるようです。(ガスも)

なお、この方法でも出そうで出ない、という時は『まやかしの便意』(しぶり腹)かもしれませんので、無理をなさいませんよう・・。

こちらも、呼吸法でなんとか工夫できるかもしれませんので、こちらをどうぞ。(過去記事です)
『しぶり腹のときは・・』

それから、手でお腹を『の』の字にマッサージする方法は、この病気になってからはやってません。物理的に腸に刺激を与えると、かえって傷つけてしまうかもしれないので。
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祈り
2011年03月22日 (火) | 編集 |
息子が生まれてから、ずっと祈り続けていること。

「どうか、この子をお守り下さい。この子を守り続けることが出来るよう、お導きください。どんなことがあっても守り抜くことが出来るよう・・」

この祈りの中に含まれる理由について、うまく伝わるかどうか分からないけど書いてみようと思う。

私は、母性があまりないんじゃないかと自分で思っている。

子供は、ただかわいいだけじゃない。かんしゃくも起こすし、反抗もする。親の思うとおりにならないことだらけだ。

成長する一人の人間なんだから、当然のこと。

でも、親だって人間なんだから、子供に対して・・というより、自分の思い通りにならないことに対して激しい怒りが湧いてくることもある。

そんな時、自分で自分を抑制できるかどうか、私には分からない。

自分の中にある狂気、それがいつ、どんな状況で目を覚ますのか。私はまだ知らない。

私は、自分が確実に心の奥深くに狂気を隠し持っている、ということを知っているので、どうかそれが出ませんように、たががはずれることがありませんように、子供を傷つけることが決してありませんように、と祈り続ける。

どんなことがあっても、この子を守り抜く、というのは、外的なものはもちろんだけど、それ以上に母親である私から、という意味合いの方が強いのかもしれない。(私の場合)

特に子供が小さい時は、隔離された土地で、密室での二人きりの毎日。ときには気が遠くなるような長い時間もある。

そんな状況で、母親の私が正気を失わないという保障は、いったいあるのか。

もしも・・は、いつでも起こりうること。そういう『縁』がそろえば、誰にでも起こりうること。

私にとっての祈り、とは、希望の祈り(自他に対して)と、自分自身を抑制するもの。

祈りがなければ、もしかするととりかえしのつかないひどいことをしてしまった可能性もあると思う。

きっと、真の母性あふれるすばらしい母親っていうのは本当にいるのかもしれないけど、そうでない私にとって、祈りなしには子育ては出来ないな・・と思う。

この子が本当に大切だから。

あー坊がいてくれて、私達夫婦がいて、飢えることもなく、暑さ寒さをしのぐ家がある、それが本当にありがたく、大切なことだから。






(追記です)

狂気という言葉を誤解の少ない言い方にすると、『自分が育児などのストレスでキレるかもしれない。もしキレたら、衝動的に虐待とかするかもしれない』という恐れ、です。

そして心の奥底に狂気を持っているというのは、例えば子供がありやかたつむりなどを楽しげに踏み潰している光景を見たとして、「こういう残酷なことをするのは、どこか精神的に異常があるに違いない」などと取り乱したりしない、ということ。(それがいいことか悪いことか、ということはここでは別にして。もちろん、やってはいけないことはちゃんと教えるつもりです。)

そういう子供の残虐行為は、大人に分別を教えてもらう前は誰もが多分やってきたことだと思うんです。その感覚を、大人になった今でも覚えている、自分の中の猟奇性のようなものを自覚している、という意味です。

余計分かりにくくなったらごめんなさい。思っていることを簡潔に分かりやすく書くのって、難しいです。
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