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2006年9月に高齢初産で男の子を出産しました。 ぼちぼちと育児日記を綴っています。2008年1月と2月は絵日記もちょこっと。
サイキックあー坊・その2
2018年01月28日 (日) | 編集 |
息子が小さい頃に何か見えているようだという事を書きました。

これです→サイキックあー坊

もう時効というか祖母も他界して何年も経つので書きますが、あれ多分、母方の祖母だったんじゃないかと思うのですよ。

そうじゃないかなあと感じつつも、ほぼ確信に変わったのは息子が3才の夏に帰省した時の事です。

母方の祖母は、1997年頃脳卒中を起こして、以来15年ほどしゃべることも動くことも出来ずに寝たきりで過ごしました。

とても念というか精神の強い人で、生前色々なエピソードもあるのですが、それもまた機会があれば書くかもしれません。

その帰省した時もずっと特老に入っていて、私は子供を連れて毎日会いに行っていました。

ある朝、息子が急に

「さっき、ナナ(おばあちゃんという意味。私の母のこと)来てたねえ。」

と言い出すのです。え?さっきって、私の部屋に息子と二人で寝てたし、母も別室にいたのですが、来たとしても私は気付くはずです。

寝ぼけてたのかな・・と考えてて、はっとしました。

あれ、きっと祖母の生霊ですわ(・∀・;)

母も祖母も似てるので、息子には同じ人に見えたのでしょうね。

孫がひ孫を連れて帰ってきてたので、気になって来てくれてたのかもしれません。そして多分ミネソタにも・・

まあ、こういう話は証明出来ないので信じる信じないは人それぞれだと思います。

うちは結構こういう話には免疫があるので、母も「そうだねえ」とか普通に言ってました。
祖父の遺言
2018年01月15日 (月) | 編集 |
今日部屋の整理をしていて、父がブルーレイにしてくれた家族写真を見つけたのでなんとはなしに観ていました。

その中に、先の大戦で亡くなった母方の祖父の手紙や遺書、祖父母の若い頃の写真などが入っていて・・正直驚きました。これまで一度も見た事も聞いたこともなかったので、そういうのはないと思っていたのです。多分、数年前に他界した祖母の遺品にあったのだと思います。

祖父は、母が2才の時に沖縄戦で帰らぬ人となりました。その後祖母は女手一つで母を育て上げ、ただひたすらに生きぬきました。

30代でまだ幼いわが子と妻を残し、戦地へ赴かねばならなかったその心中はいかばかりのものであったのか。残された祖母はどんな思いであったのか。

写真でしか知る事のなかった祖父の、走り書きのような手紙と遺書を読んで、祖父母や祖先に思いを馳せました。

私達は、それをしっかりと背負って前を向いて生きてゆかないとなあと。

以下、手紙と遺書の写しです。名前や地名はXXで伏字にしました。


【戦地へ赴く祖父から祖母への手紙】

何から何まで心尽くし 厚く御礼申す

心から感謝して行く

留守はしっかり頼む

父上様方によろしく

XX子の養育はたのんだぞ

十中八九迄は大丈夫との船長の話だそうだから心配するな

がしかし万が一不幸にして無念の涙を呑んだら

ふたりの側にねむらしてくれ

二人の側に永久について守るぞ

貯金その他はよくまとめて間違いのない様に

XX子の養育費だから

次にXXの番地をXX印をホッて(住所が知れたら)入れてやれ

司令部の方が届出が済むとXXに変るだろうから(軍から通知があれば)

御世話になった人々には、みな よろしく言うてくれ

父と相談して引き上げる銀行は XXの方へ預金変更できるだろう

通帳もXXに変更してもよいし好きな様にせよ

昼すぎ乗船らしい

出発は分らん

二人の為に俺は絶対に死なんよ

必ず二人の元に帰る

辛抱して待て

二年の辛抱と思って

XX子が四ツになる頃 又無尽が済む頃は帰れると思う

どうせ内地勤務と同じだから 交代があるとのことだ

お前たち二人のことしか頭にない

お前が何より体を大事にせんと困るよ

帰ったら一週間 揃って温泉に行かう

大事に 大事に

暫くの別れだ

頑張らう

お互ひに

  昭和十九年八月六日應召ニ際シテ

                               XX


【遺言書】

XX 殿

遺 言                         XX

遺書

一、 これから先の住所は自分の自由にすること(必ずXXに住むこと)

一、 自分に下る全ての金銭はお前の所有とする

一、 生活は出来るだけ切り詰めて行うこと

一、 XX子の将来を頼む

一、 XX子よ大きくなったら母の教えをよく聞いて孝行すること

一、 金銭貸借関係なし

一、 其の他迷惑を掛ける様なこと一切なし

二人の幸福を祈る

  昭和十九年八月六日 応召に際して

                            XX


XX XX殿
〃 XX子殿

如何に苦しくとも悲しくとも耐えよ

◎強く生き抜け XX子を楽しみにして

自分は一秒もお前の側から離れぬ 必ず守っている

生前お世話になった両親

関係皆々様に宜しく頼む

遺骨はお前の意志に依って埋葬してくれ


XX子へ

たった一人の可愛いお前の歩むすがたを

見ずに行くのが名残り惜しいが

是も お国のためだ

これが よめるように なったら よく よんで

母さんの いうことを よくきいて 孝行するのだよ

りっぱになることだよ

よく べんきょう して

お父さんは 遠いところから おまえをじっと

見守っているからね

  昭和十九年八月六日 XX子二才(一年四ヶ月)

                           父 XX
大腸内視鏡検査でした
2018年01月14日 (日) | 編集 |
おととい、定期健診の大腸内視鏡検査を受けてきました。

結果は、炎症も全く見られず疑わしい箇所もなし。やった!

実は、3年前から薬の量を減らしてきてるのですよ。最初三分の一に、その翌年さらに半分に、そしてまたその半分に減らして、現在メサラミンを1.2グラム/日に減らして約半年。

担当医も、どこまで薬を減らすことができるのか興味津々のようで、ふたりで実験的にやっています。私としては、将来的には薬ゼロでも食事療法や生活習慣に気をつければ大丈夫というのを自分で証明しようと思っています。

潰瘍性大腸炎というのは、今のところ治療薬はないと言われているのですが、本当は自分で治せると思うんですよねぇ。

私はこの病気のお蔭で学んだ事が沢山あるし、まさかと思われるかもしれませんが助けてもらった事も沢山あって、この病気には本当に感謝しているのです。病気自体も、自分に必要だったから自分で選んでなったのだと思っています。

そして薬にもとても感謝しています。

以前も書いたように、ありがとうの魔法も有効です。
こちら⇒ありがとうの魔法・・下血が止まりました

また何か発見がありましたら書きますね。
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