2006年9月に高齢初産で男の子を出産しました。 ぼちぼちと育児日記を綴っています。2008年1月と2月は絵日記もちょこっと。
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祈り
2011年03月22日 (火) | 編集 |
息子が生まれてから、ずっと祈り続けていること。

「どうか、この子をお守り下さい。この子を守り続けることが出来るよう、お導きください。どんなことがあっても守り抜くことが出来るよう・・」

この祈りの中に含まれる理由について、うまく伝わるかどうか分からないけど書いてみようと思う。

私は、母性があまりないんじゃないかと自分で思っている。

子供は、ただかわいいだけじゃない。かんしゃくも起こすし、反抗もする。親の思うとおりにならないことだらけだ。

成長する一人の人間なんだから、当然のこと。

でも、親だって人間なんだから、子供に対して・・というより、自分の思い通りにならないことに対して激しい怒りが湧いてくることもある。

そんな時、自分で自分を抑制できるかどうか、私には分からない。

自分の中にある狂気、それがいつ、どんな状況で目を覚ますのか。私はまだ知らない。

私は、自分が確実に心の奥深くに狂気を隠し持っている、ということを知っているので、どうかそれが出ませんように、たががはずれることがありませんように、子供を傷つけることが決してありませんように、と祈り続ける。

どんなことがあっても、この子を守り抜く、というのは、外的なものはもちろんだけど、それ以上に母親である私から、という意味合いの方が強いのかもしれない。(私の場合)

特に子供が小さい時は、隔離された土地で、密室での二人きりの毎日。ときには気が遠くなるような長い時間もある。

そんな状況で、母親の私が正気を失わないという保障は、いったいあるのか。

もしも・・は、いつでも起こりうること。そういう『縁』がそろえば、誰にでも起こりうること。

私にとっての祈り、とは、希望の祈り(自他に対して)と、自分自身を抑制するもの。

祈りがなければ、もしかするととりかえしのつかないひどいことをしてしまった可能性もあると思う。

きっと、真の母性あふれるすばらしい母親っていうのは本当にいるのかもしれないけど、そうでない私にとって、祈りなしには子育ては出来ないな・・と思う。

この子が本当に大切だから。

あー坊がいてくれて、私達夫婦がいて、飢えることもなく、暑さ寒さをしのぐ家がある、それが本当にありがたく、大切なことだから。






(追記です)

狂気という言葉を誤解の少ない言い方にすると、『自分が育児などのストレスでキレるかもしれない。もしキレたら、衝動的に虐待とかするかもしれない』という恐れ、です。

そして心の奥底に狂気を持っているというのは、例えば子供がありやかたつむりなどを楽しげに踏み潰している光景を見たとして、「こういう残酷なことをするのは、どこか精神的に異常があるに違いない」などと取り乱したりしない、ということ。(それがいいことか悪いことか、ということはここでは別にして。もちろん、やってはいけないことはちゃんと教えるつもりです。)

そういう子供の残虐行為は、大人に分別を教えてもらう前は誰もが多分やってきたことだと思うんです。その感覚を、大人になった今でも覚えている、自分の中の猟奇性のようなものを自覚している、という意味です。

余計分かりにくくなったらごめんなさい。思っていることを簡潔に分かりやすく書くのって、難しいです。
テーマ:海外で育児
ジャンル:育児
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2011/03/25(Fri) 07:41 |   |  #[ 編集]
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