2006年9月に高齢初産で男の子を出産しました。 ぼちぼちと育児日記を綴っています。2008年1月と2月は絵日記もちょこっと。
スポンサーサイト
--年--月--日 (--) | 編集 |
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
予兆
2010年06月01日 (火) | 編集 |
今にして思えば、ずっと兆候はありました。

18年前、就職した会社で悩んで(一言で言えば、まあ、ありきたりな人間関係です)入社数ヶ月で体重が10キロ落ち・・

ある日突然お腹の激痛に見舞われました。

お腹が張って、痛くて痛くて、そのくせ便は出ず。

とうとう我慢しきれずに近くの胃腸外科の夜間救急診療へ駆け込みました。

当直は大学病院から来ていた若いインターンの先生。

「う~ん、白血球値は高いけど、盲腸かどうか分からない。週が明けてからちゃんとしたお医者さんに診てもらって」

と言われ、その日は結局そのまま返されてしまいました。

当日が金曜日だったので、土、日はもうひたすら痛みに耐え・・

本当にこのまま死ぬんじゃないかというくらいの激痛をなんとか乗り越え、週が明けたらなんとなく痛みも引いてきたので結局『ちゃんとしたお医者さん』へは行きませんでした。

それでもその後、何度か左腹部の上のあたりが痛かったので、別の胃腸科で検査をしてもらうことにしました。

検査は、腸にバリウムを入れて台の上でぐるぐるされる・・なんていうんでしょう、あれ。

結果は、

「特に問題はないですねぇ。痛いのはきっと、ここのところがヘアピンカーブのように曲がっているから、ガスが通ったりする時の痛みでしょう。」

ということで、診断されたのは

過敏性腸症候群。

それから18年間、疲れた時などいつもみぞおちから左側にかけて、漬物石がつまっているようなずーんとした痛みが常にありました。

でもそのたびに

「あー、またヘアピンカーブのところか・・過敏性腸症候群だもんなぁ」

と、ずっとこの方過敏性腸症候群と信じて疑わず、病院へも行きませんでした。

そして2006年の出産、育児で4年近くあまり睡眠がとれず、すっかり疲れ果て、便に粘液や血がつき始めたのが2008年頃。

朝起きるのが辛くて辛くて、身体は鉛のように重く、食事の支度がものすごくおっくうになり始めました。

何かおかしいとは思いながらも、まだ子供が小さくて預ける人が誰もいないという理由で検査を延ばし延ばしにしていたのです。(アメリカで私も夫も近くに親戚がいないので)

そのうち、便がだんだんとゆるくなり、2009年春から約1年間粘液便とトイレのたびに便器を真っ赤に染めるほどの下血がだらだらと続きました。

2010年4月に日本の実家へ帰省している2週間で、リラックスできたせいか、柔らかい形のある便に戻ったのもつかの間、帰ってきたらまた元の粘液&血便に。

それから6月12日から始まる、激痛の日々となるわけです。

こうやって書いてみると、18年前からじわじわと病状が悪化してたんだろうな・・もっと早く再検査すればよかった・・と思います。

これから、周りで便に異常がある人がいたら、絶対に内視鏡検査をすすめよう。

この病気になって、潰瘍性大腸炎のことを知って、なにかおかしいと思ったら即検査!というのは本当に大事だな・・とつくづく思いました。
テーマ:海外生活
ジャンル:海外情報
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。