
今日部屋の整理をしていて、父がブルーレイにしてくれた家族写真を見つけたのでなんとはなしに観ていました。
その中に、先の大戦で亡くなった母方の祖父の手紙や遺書、祖父母の若い頃の写真などが入っていて・・正直驚きました。これまで一度も見た事も聞いたこともなかったので、そういうのはないと思っていたのです。多分、数年前に他界した祖母の遺品にあったのだと思います。
祖父は、母が2才の時に沖縄戦で帰らぬ人となりました。その後祖母は女手一つで母を育て上げ、ただひたすらに生きぬきました。
30代でまだ幼いわが子と妻を残し、戦地へ赴かねばならなかったその心中はいかばかりのものであったのか。残された祖母はどんな思いであったのか。
写真でしか知る事のなかった祖父の、走り書きのような手紙と遺書を読んで、祖父母や祖先に思いを馳せました。
私達は、それをしっかりと背負って前を向いて生きてゆかないとなあと。
以下、手紙と遺書の写しです。名前や地名はXXで伏字にしました。
【戦地へ赴く祖父から祖母への手紙】
何から何まで心尽くし 厚く御礼申す
心から感謝して行く
留守はしっかり頼む
父上様方によろしく
XX子の養育はたのんだぞ
十中八九迄は大丈夫との船長の話だそうだから心配するな
がしかし万が一不幸にして無念の涙を呑んだら
ふたりの側にねむらしてくれ
二人の側に永久について守るぞ
貯金その他はよくまとめて間違いのない様に
XX子の養育費だから
次にXXの番地をXX印をホッて(住所が知れたら)入れてやれ
司令部の方が届出が済むとXXに変るだろうから(軍から通知があれば)
御世話になった人々には、みな よろしく言うてくれ
父と相談して引き上げる銀行は XXの方へ預金変更できるだろう
通帳もXXに変更してもよいし好きな様にせよ
昼すぎ乗船らしい
出発は分らん
二人の為に俺は絶対に死なんよ
必ず二人の元に帰る
辛抱して待て
二年の辛抱と思って
XX子が四ツになる頃 又無尽が済む頃は帰れると思う
どうせ内地勤務と同じだから 交代があるとのことだ
お前たち二人のことしか頭にない
お前が何より体を大事にせんと困るよ
帰ったら一週間 揃って温泉に行かう
大事に 大事に
暫くの別れだ
頑張らう
お互ひに
昭和十九年八月六日應召ニ際シテ
XX
【遺言書】
XX 殿
遺 言 XX
遺書
一、 これから先の住所は自分の自由にすること(必ずXXに住むこと)
一、 自分に下る全ての金銭はお前の所有とする
一、 生活は出来るだけ切り詰めて行うこと
一、 XX子の将来を頼む
一、 XX子よ大きくなったら母の教えをよく聞いて孝行すること
一、 金銭貸借関係なし
一、 其の他迷惑を掛ける様なこと一切なし
二人の幸福を祈る
昭和十九年八月六日 応召に際して
XX
XX XX殿
〃 XX子殿
如何に苦しくとも悲しくとも耐えよ
◎強く生き抜け XX子を楽しみにして
自分は一秒もお前の側から離れぬ 必ず守っている
生前お世話になった両親
関係皆々様に宜しく頼む
遺骨はお前の意志に依って埋葬してくれ
XX子へ
たった一人の可愛いお前の歩むすがたを
見ずに行くのが名残り惜しいが
是も お国のためだ
これが よめるように なったら よく よんで
母さんの いうことを よくきいて 孝行するのだよ
りっぱになることだよ
よく べんきょう して
お父さんは 遠いところから おまえをじっと
見守っているからね
昭和十九年八月六日 XX子二才(一年四ヶ月)
父 XX
その中に、先の大戦で亡くなった母方の祖父の手紙や遺書、祖父母の若い頃の写真などが入っていて・・正直驚きました。これまで一度も見た事も聞いたこともなかったので、そういうのはないと思っていたのです。多分、数年前に他界した祖母の遺品にあったのだと思います。
祖父は、母が2才の時に沖縄戦で帰らぬ人となりました。その後祖母は女手一つで母を育て上げ、ただひたすらに生きぬきました。
30代でまだ幼いわが子と妻を残し、戦地へ赴かねばならなかったその心中はいかばかりのものであったのか。残された祖母はどんな思いであったのか。
写真でしか知る事のなかった祖父の、走り書きのような手紙と遺書を読んで、祖父母や祖先に思いを馳せました。
私達は、それをしっかりと背負って前を向いて生きてゆかないとなあと。
以下、手紙と遺書の写しです。名前や地名はXXで伏字にしました。
【戦地へ赴く祖父から祖母への手紙】
何から何まで心尽くし 厚く御礼申す
心から感謝して行く
留守はしっかり頼む
父上様方によろしく
XX子の養育はたのんだぞ
十中八九迄は大丈夫との船長の話だそうだから心配するな
がしかし万が一不幸にして無念の涙を呑んだら
ふたりの側にねむらしてくれ
二人の側に永久について守るぞ
貯金その他はよくまとめて間違いのない様に
XX子の養育費だから
次にXXの番地をXX印をホッて(住所が知れたら)入れてやれ
司令部の方が届出が済むとXXに変るだろうから(軍から通知があれば)
御世話になった人々には、みな よろしく言うてくれ
父と相談して引き上げる銀行は XXの方へ預金変更できるだろう
通帳もXXに変更してもよいし好きな様にせよ
昼すぎ乗船らしい
出発は分らん
二人の為に俺は絶対に死なんよ
必ず二人の元に帰る
辛抱して待て
二年の辛抱と思って
XX子が四ツになる頃 又無尽が済む頃は帰れると思う
どうせ内地勤務と同じだから 交代があるとのことだ
お前たち二人のことしか頭にない
お前が何より体を大事にせんと困るよ
帰ったら一週間 揃って温泉に行かう
大事に 大事に
暫くの別れだ
頑張らう
お互ひに
昭和十九年八月六日應召ニ際シテ
XX
【遺言書】
XX 殿
遺 言 XX
遺書
一、 これから先の住所は自分の自由にすること(必ずXXに住むこと)
一、 自分に下る全ての金銭はお前の所有とする
一、 生活は出来るだけ切り詰めて行うこと
一、 XX子の将来を頼む
一、 XX子よ大きくなったら母の教えをよく聞いて孝行すること
一、 金銭貸借関係なし
一、 其の他迷惑を掛ける様なこと一切なし
二人の幸福を祈る
昭和十九年八月六日 応召に際して
XX
XX XX殿
〃 XX子殿
如何に苦しくとも悲しくとも耐えよ
◎強く生き抜け XX子を楽しみにして
自分は一秒もお前の側から離れぬ 必ず守っている
生前お世話になった両親
関係皆々様に宜しく頼む
遺骨はお前の意志に依って埋葬してくれ
XX子へ
たった一人の可愛いお前の歩むすがたを
見ずに行くのが名残り惜しいが
是も お国のためだ
これが よめるように なったら よく よんで
母さんの いうことを よくきいて 孝行するのだよ
りっぱになることだよ
よく べんきょう して
お父さんは 遠いところから おまえをじっと
見守っているからね
昭和十九年八月六日 XX子二才(一年四ヶ月)
父 XX
| ホーム |